2004年11月、手塚治虫氏の遺作を編集したアニメ映画『孫悟空』のDVDの出版セレモニーが、世界に先駆け北京で執り行われた。
手塚治虫氏の『孫悟空』は、中国の古典小説『西遊記』に取材した作品である。しかし、中国人がよく知る数千年を経た猿の妖精の孫悟空とは違い、手塚氏の丸顔の悟空は「鉄腕アトム」によく似ており、手には金属質の如意棒を持っていた。
1980年代、日本のアニメはその豊かな想像力と、美しい画面で人々をひきつけ、中国でも多くのファンを獲得していた。「日本アニメの父」と呼ばれる手塚治虫氏が制作した『鉄腕アトム』は中国の青少年を夢中にさせ、中国の視聴者に広く知られる初の外国アニメ・キャラクターとなった。
手塚治虫氏のアニメ制作は、中国と深い関わりを持っている。1943年、小学生であった手塚氏は、中国アニメの開祖、万籟鳴兄弟が監督した中国初のアニメ映画『鉄扇公主』を観て、「手に如意棒を持ち、斤斗雲で10万8千里を飛ぶ」孫悟空にすっかり魅了された。その後、アニメ制作の道を歩むことになる手塚氏は、1952年に漫画雑誌に『ぼくの孫悟空』を連載している。
1988年、手塚氏は訪中し、すでに古希を迎えていた万籟鳴氏を訪ねた。日本に戻った手塚氏は、彼の最後の作品となる『私の孫悟空』の草案を完成させたが、その翌年に亡くなってしまう。アトム誕生50周年に当る2003年、手塚プロダクションは手塚治虫氏の思いが込められた作品『私の孫悟空』を発表し、2004年11月、万籟鳴氏の命日の前夜に『孫悟空』と名を改めて、中国に「里帰り」させた。
日本の手塚プロダクションの松谷孝征氏は、「万籟鳴先生は手塚先生が最も愛し、尊敬した方です。手塚先生はディズニーの影響を受けていると多くの人が認識していますが、実際は中国アニメ、とりわけ万先生の影響を受けており、その時期はディズニーよりも早く、影響も深い」と、指摘した。更に、松谷氏は、「日本で『私の孫悟空』が上映されたのは、日本経済が回復して間もない時期でした。我々は孫悟空の勇敢さ、善良さ、意志の強さが方向を見失った日本の人びとに希望と元気を与えてくれることを願っています。『孫悟空』は申(サル)年に中国に里帰りしました。同様に、この作品が中国のみなさんによりよい未来をもたらしてくれることを願っています」と語っている。
|