今日、中国で砂漠改造と言えば、誰もが敬意とともに一人の日本の老人を思い出す。その老人とは、鳥取大学の遠山正瑛教授である。遠山教授は日本で砂丘改造に成功しており、その経験が、日本の砂漠化防止に大いに役立てられていた。
1935年、農学研究生として中国に留学した遠山教授は、黄河流域を実地調査し、「砂漠をオアシスに変える」という志を立て、内蒙古の包頭に土地を購入して緑化計画を実施した。しかし、遠山青年の夢は戦争に打ち砕かれる。1972年、中日両国の国交正常化が実現されると、遠山教授は若かりし頃の夢を思い起こして、自ら中国を訪れ、長年にわたり華北と西北地区を巡り、草木を植え、砂漠改造のために力を尽くした。
1990年、83歳の遠山教授は内蒙古のエングベーを実地調査する。エングベーはモンゴル語で「吉祥、平安」という意味である。しかし、エングベー砂漠の自然環境は厳しく、砂漠の改造は非常に困難であった。
1991年、遠山教授はボランティアを率いて毎日エングベー砂漠に出た。この時、教授は84歳になっていたが、10時間以上も休むことなく炎天下の砂漠で作業している。薄い白髪の上に日除け帽をかぶり、ベージュの作業服から日焼けで黒くなった細い腕を出した遠山教授、いつも口にタバコを咥え、気さくに農民と交流していた日本の老人を、地元の人々は今もはっきりと覚えている。
「中日友好は口先だけではなく、実際に行動しなければならない」と、教授はいつも口癖のように言っていた。また、「環境問題を解決するには、世界が一体となって取り組むしかない。中国の砂漠を緑化することは、自らを助けることである」とも言っている。遠山教授は日本でエングベー「百万株植樹プロジェクト」を提唱し、日本国民に「一人一人が一週間に一食、食事を節約して、エングベーの砂漠改造を支援しよう」と、呼びかけた。遠山教授の真摯な訴えに動かされ、10年間に7000名を超える日本人ボランティアが自費でエングベー砂漠を訪れ、緑化活動に参加してきた。その中には、小学生や元閣僚も含まれている。
2004年2月27日、遠山教授は病のため永眠し、その遺骨は本人の願い通り、現在はオアシスに生まれ変わったエングベーに葬られた。
今日に至っても、数多くの日本人が遠山教授の遺志を継ぎ、中国で砂漠緑化活動に参加している。
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