特集ホームページへ 中 国 語 日 本 語  
(三)交流協力
相互学習の歴史 中日留学史話
内山書店と魯迅
京劇と歌舞伎 梅蘭芳父子と日本
日本から来た『白毛女』
鬼の大松監督と中国女子バレー
中日共通の「手談」囲碁の魅力
大相撲の中国興行
中国史を愛した日本人作家井上靖氏
中日合作映画 『未完の対局』
一服の茶にこめられた平和の願い
中日青年交歓活動
阿波丸の引揚げ作業
日本人の命を救うために
中国の砂漠緑化活動に献身した遠山正瑛教授
ニヤ遺跡にロマンを求める小島康誉氏
日本の対中国ODA
互恵・相互補完性の貿易パートナー
実り豊かな中日農業協力
言葉の架け橋
海を越えた愛
小沢征爾氏のまぶたの中の故里 中国
谷村新司さんと中国の縁
音楽に国境なし
手塚治虫氏と『孫悟空』
ジャッキー・チェンと日本の映画ファン
日本生まれ、中国育ちの「磁娃娃」 福原愛選手
中日友好の未来の担い手である子供たち
中国の砂漠緑化活動に献身した遠山正瑛教授

今日、中国で砂漠改造と言えば、誰もが敬意とともに一人の日本の老人を思い出す。その老人とは、鳥取大学の遠山正瑛教授である。遠山教授は日本で砂丘改造に成功しており、その経験が、日本の砂漠化防止に大いに役立てられていた。

1935年、農学研究生として中国に留学した遠山教授は、黄河流域を実地調査し、「砂漠をオアシスに変える」という志を立て、内蒙古の包頭に土地を購入して緑化計画を実施した。しかし、遠山青年の夢は戦争に打ち砕かれる。1972年、中日両国の国交正常化が実現されると、遠山教授は若かりし頃の夢を思い起こして、自ら中国を訪れ、長年にわたり華北と西北地区を巡り、草木を植え、砂漠改造のために力を尽くした。

1990年、83歳の遠山教授は内蒙古のエングベーを実地調査する。エングベーはモンゴル語で「吉祥、平安」という意味である。しかし、エングベー砂漠の自然環境は厳しく、砂漠の改造は非常に困難であった。

1991年、遠山教授はボランティアを率いて毎日エングベー砂漠に出た。この時、教授は84歳になっていたが、10時間以上も休むことなく炎天下の砂漠で作業している。薄い白髪の上に日除け帽をかぶり、ベージュの作業服から日焼けで黒くなった細い腕を出した遠山教授、いつも口にタバコを咥え、気さくに農民と交流していた日本の老人を、地元の人々は今もはっきりと覚えている。

「中日友好は口先だけではなく、実際に行動しなければならない」と、教授はいつも口癖のように言っていた。また、「環境問題を解決するには、世界が一体となって取り組むしかない。中国の砂漠を緑化することは、自らを助けることである」とも言っている。遠山教授は日本でエングベー「百万株植樹プロジェクト」を提唱し、日本国民に「一人一人が一週間に一食、食事を節約して、エングベーの砂漠改造を支援しよう」と、呼びかけた。遠山教授の真摯な訴えに動かされ、10年間に7000名を超える日本人ボランティアが自費でエングベー砂漠を訪れ、緑化活動に参加してきた。その中には、小学生や元閣僚も含まれている。

2004年2月27日、遠山教授は病のため永眠し、その遺骨は本人の願い通り、現在はオアシスに生まれ変わったエングベーに葬られた。

今日に至っても、数多くの日本人が遠山教授の遺志を継ぎ、中国で砂漠緑化活動に参加している。

「中日友好万人友誼林」植樹活動
ハコヤナギを剪定する遠山正瑛教授
砂漠に植樹する「日本協力隊」のメンバー
中国の友人と砂漠改造計画について検討する遠山正瑛教授
「遠山正瑛氏を偲ぶ会」
日本人環境ボランティアがクヌギの苗木を5万株植樹
「中日友好万人友誼林」の記念碑の除幕式
Copyright © China Internet Information Center. All Rights Reserved E-mail: webmaster@china.org.cn Tel: 86-10-88828000