父親の代では命拾いできたことに対する感謝の気持ちだったものが、なぜその息子の代で「南京に大虐殺は存在しなかった」ことの口実に成り果ててしまったのだろうか。父親の心の内も理解せず親不孝な河村氏の奇怪な発言は、一般的な日本人の理解も得られないだろう。恩を仇で返すこの発言は、全く無知としか言いようがない。
名古屋市民の中には、河村氏に手紙で賛同の意思を表す者も少なからず存在するという。しかし、その中には、かつて南京で命拾いし、帰国後もずっとその恩を忘れなかった河村鈊男氏の気持ちを知る者が何人いるだろうか。そして、実際に南京大虐殺記念館に足を運び、南京城内外の実際の虐殺現場をその目で見て、中国人が永遠に忘れ去ることのできないその歴史を理解しようとした人が何人いるだろうか。
今となっては、名古屋市民を含む日本国民に1937年に南京で発生した大虐殺の史実を理解させ、人々に河村鈊男氏ら旧軍人の中国に対する謝罪、贖罪の発言や行動を知らしめることが、河村氏の無知で恥知らずな側面を暴露し、その「南京に大虐殺は存在しなかった」というでたらめな発言を自ら破滅させる唯一の方法である。
名古屋市民から贈られた「友」の記念章は、市民同士が互いの友情を大切にすることを、私に確信させてくれる。南京大虐殺の歴史を記憶し続けることは、二度と中日間で戦争を起こさないようにするためであり、市民同士の間に真の理解と友情を打ち立て、中日、アジアそして世界の永久的平和を実現するためであり、反日感情を育てるためのものでは決してない。今後、南京と名古屋市民の間の「友」の字がその深さを増していくことを信じてやまない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年3月1日