血塗られた歴史:日本人は南京大虐殺をどのように捉えているのか

血塗られた歴史:日本人は南京大虐殺をどのように捉えているのか。 私が抗日戦争の文献や、南京大虐殺と直接的な関係があるものに注目するようになったのには訳がある。それは数年前の事、日本の若者とBBSで意見を交わした。相手の主張は「南京大虐殺は完全なでっち上げである」というものだった。私は怒りを抑えきれずに聞いた。「あなたがなんと言おうと、南京城の下に埋まっている犠牲者の骨までは否定することはできないだろう。」…

タグ: 南京大虐殺 戦争 歴史 日本人 

発信時間: 2010-11-19 11:22:45 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

南京の人口がどれくらいだったのかと言う問題について、当時の駐中大使館参事官であった日高信六郎氏も統計データーを発表している。しかし、それは安全区域の住民の人数だけであり、実際のところ、大虐殺が行なわれたのは郊外も含む南京全体である。戦前、南京の人口は101万9000人だった。開戦後の11月23日時点での馬超俊市長の発表によると、兵役に服している者を除いた南京の市民は50万人ほどで、難民は20万に上る。上海、松江、蘇州などの戦火から逃れてきた難民が大勢、南京に押し寄せた。日本軍の侵略の勢いは激しかった。また当時は交通手段が不十分だった上に、南京防衛線の唐生智最高指揮官による長江封鎖命令もあって、大勢の難民は南京と存亡を共にするしかなかった。この大量の難民の数は今でもはっきりされていない。当時は決まった戸籍制度もなく、日本軍が「敗残兵」や「便衣兵(一般兵士が逃げ場を失い、日本軍に捕獲されても殺されると考え軍服を脱いで、市民に紛れ込もうとしたもの)」狩りを行っていた時、最大の犠牲になったのも難民だった。

南京大虐殺の被害者数を明らかにするためにはとどのつまり、もっと多くの歴史資料や証拠文献を研究する必要がある。しかし、忘れてはいけないのは、死亡人数が数万人であろうと30万人であろうと、「南京大虐殺は確かにあった」という事実である。議論されているのはあくまで、その規模がどのくらいだったかである。

意見その3 南京大虐殺は「下克上」の結果

つまり、南京大虐殺は日本軍が意図的にやったわけではなく、中・下級の仕官が無断で決行したという主張である。この説の目的は、当時の派遣軍司令官であり、南京大虐殺の責任を問われ、極東国際軍事裁判で死刑に処された松井岩根陸軍大将の汚名返上である。この主張は角良晴氏(南京大虐殺事件当時の松井の副官)著の「七生賦」に主な内容が書かれている。

角氏は「松井司令官は全ての罪をかぶった仏様のような人物」と言っている。しかし、これはあまりにも松井氏を美化しすぎている。当時の日本軍の各部署の司令官、例えば師団指揮官の山田梅二中将など、自らの日記に大虐殺の命令を受けてから実行に至るまでの一部始終を記録している者は多い。松井自身の日記の中にもこの説の主張とは正反対の内容が記されている。1980年、日本の教科書審議が行なわれた際、南京大虐殺「まぼろし説」を主張していた山田良一氏は、松井の日記を証拠に松井が大虐殺に関与していなかったことを主張したが、日記には山田良一氏自身が修正したと見られる跡が600カ所近く見つかった。「隠すより現る」とは正にこのことであり、嘘は隠そうとすればするほどにばれてしまうのだ。

現在、揃っている資料を見ると、大虐殺には日本軍第3師団、第9師団、第16師団、第3艦隊第11戦隊など多くの部隊が参加しており、作戦も熟練したものだったため、予め組織的に計画されたものでないと言うのは非常に疑わしい。松井氏が指令を下したかどうかの真意については南京大虐殺の有無には直接関係しないので、日本人の間で決着をつけてくれれば良い。

意見その4 南京大虐殺は事実だが「合法な殺戮」であるとする「戦時国際法上合法説」

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