承徳の避暑山荘


  清の康煕帝は北部への巡幸の旅の途中、承徳というところが地勢的にも優れ、風景も美しく、気候も申し分なく、そして清の皇帝の故郷へ通じる門戸でもあり、山海関以南の地域に目を光らし、北の蒙古族各部落を制御下におくこともできることに気づいたので、この地域に行宮を築造することに決めた。康煕42年(1703年)から着工し、康煕52年に、36の景観の整備を完了した。その後、雍正帝の時代を経て、乾隆6年(1741年)からまた築造を続け、乾隆57年に完成された避暑山荘は乾隆36景と「外八廟」を増築したものであり、規模が大きく、いまでも豪華な皇室庭園として知られている。山荘は地形に沿って、「宮殿区」「湖沼区」「平野区」と「山岳区」などの四大景観区に分けられる。建築物の全体的な配置は地形を巧みに生かして美しい景観をつくり出している。特に宮殿の建築物は上品でおごそかな雰囲気に満ち、自然の景観と一体に溶け合っている。壮大なスケールの寺の建築群が山荘を囲み、チベットや新疆のラマ教の寺を模して造られ、民族の団結や中央集権を象徴している。これらの寺は山の南側の麓に建てられ、主な家屋がそびえ立ち、雄壮そのものである。1994年に承徳の避暑山荘と周辺の寺はそのユニークな風格によって、国連のユネスコに『世界の文化遺産』に登録されると同時に、観光客にオープンされ、毎年夏になると、国内外の観光客をたくさん引き付けている。

 

 

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