洛陽の竜門石窟


  河南省洛陽の竜門石窟は中国古代石窟芸術の宝庫である。北魏が洛陽に都を移した5世紀末の頃、ちょうど仏教が中国に伝わってきて石窟が盛んに掘削された時期であった。仏教は特に皇室によって重視され、493年、北魏の孝文帝が洛陽の南にある竜門山に仏教の洞窟を掘り開かせてから、唐、宋をはじめとする六つの王朝が400年にわたって大規模な築造を続け、1400年の歴史がある。現在、洛陽の南にある伊河の両側の、長さ1キロもある竜門山(西山)と香山(東山)の崖に、1352カ所の石窟、785の仏壇、9万7000の塑像、塑像に関する石刻とその他の石碑が3680もある。そのうち北魏のものが3分の1、唐のものが3分の2を占めている。竜門石窟の塑像は表情や服飾にしろ、彫刻手法にしろ、外国の仏教芸術の影響はすでに薄れており、中国独特の民族風格を示している。中国の石窟芸術が成熟して、最も盛んであった時期である。北魏の石窟芸術を代表する賓陽中洞の11体の大仏像は強健で素朴、簡潔で全体としてよくまとまった感じの強い雲岡石窟の塑像の特徴を受け継ぎ、さらに写実的でふっくらとした唐代塑像の風格へ引き継がれていくわけである。唐代以後の石窟塑像は当時の美意識に対応して、豊満で壮健、上品で落ち着いている感じを美としていた。一番優れた作品は奉先寺にある露天の石像で、中国歴史上唯一の女帝則天武后の命によって造られたものだ。真中には高さ17.14メートルの廬舎那仏、両側には対になった菩薩、天王、力士と供養する人。廬舎那仏は顔がふっくらとし目が秀麗で、中国封建時代の理想とした皇帝のイメージ、「中国仏教芸術の最も優れた作品」とたたえられている。

   2000年に国連の第24回遺産委員会会議によって『世界の文化遺産』に登録された。

 

 

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