私の出会った日本人⑬栗原小巻さん

私の出会った日本人⑬栗原小巻さん。 当時外国映画といえば朝鮮やルーマニアのものがほとんどだった中、日本映画はとても新鮮で真の映画芸術を目にしたように思えた。『愛と死』や『男はつらいよ』はセリフを覚えてしまうくらいに何度も観たものだ。以来、女優・栗原小巻の姿は心に深く刻まれている。その栗原小巻さんを自分がこうして取材できるとは思いもよらないことで、彼女が目の前に現れた時もまるで夢の中にいるようだった…

タグ: 映画 芸術 愛と死 望郷 監督

発信時間: 2011-07-07 14:16:52 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

栗原さんはちょうど協会の常任理事定例会に参加したばかりとのことだった。2011年上半期の交流活動として、中国の文化部長との座談会を開催し中国作家協会の会員を日本に招待する一方で、日本からも芸術家や出版界の専門家を中国に派遣している。また協会設立55周年を記念する席では、会長や理事長らが日中文化の共通点や相違点などについて講演会を開催したそうだ。下半期も更に多くの交流活動が予定されている。

栗原さんがロシア文学に傾倒し、愛読書がトルストイの『戦争と平和』であることは私も知っていたので、彼女が演劇について話してくれた際も『アンナ・カレーニナ』だけは理解することができた。彼女は1974年に日ソ合作映画『モスクワわが愛』に主演、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年)でも非常に重要な役柄を演じている。栗原さんがロシアと交流してきたのと同様、中国との文化交流についても重要に考えていることは、彼女と実際に会い、日中文化交流協会の活動について聞く機会があったからこそ分かったことだった。

栗原さんは謝晋(シエ・チン 映画監督)や濮存昕(プー・ツンシン 俳優)など、中国人数人をすらすらと挙げ、彼らとの交流についても話してくれた。しかし私にとって前述の2名以外は聞き覚えがない名前ばかりだった。90年代以降、中国映画も日本映画もあまり観ていなかったせいだろう。私にとって映画といえば、それこそ『サンダカン八番娼館 望郷』や『愛と死』など日本映画数作品なのだ。陳凱歌(チェン・カイコー)、張芸謀(チャン・イーモウ)や馮小剛(フォン・シャオガン)によるここ10年ほどの作品を観たことはあるが、何だかごまかされているような気持ちになっただけで、人生や人の尊厳について考えさせられるような深い味わいを作品に感じたことはない。

目の前の栗原さんが3、40年前と変わらないように、私が映画に対して抱く感覚も当時のままなのかもしれない。彼女がスクリーンで活躍していた時代こそが黄金時代だという思いは今後も変わることがないだろう。

「Billion Beats 日本人が見つけた13億分の1の中国人ストーリー」より

コラムニスト・陳言 「日本スケッチ」

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年7月7日

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