文=コラムニスト・陳言
北京映画学院の大学生と交流する山田洋次監督(6月9日)
北京映画資料館でのトークショーに中国の李纓監督らと登場した山田洋次監督、その髪には白いものが目立っていたが、映画人生について語るその姿は80歳近くとはとても思えない若々しさで、話も聴衆を魅了することしきりであった。
改革開放初期の中国、山田洋次監督について多くを知る中国人は少ない一方で、「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)、「遥かなる山の呼び声」(1980年)そして「男はつらいよ」シリーズ(1969年~1995年)など、彼の作品になじみがある人は多かったろう。1980年代、中国は現代社会への一歩を既に踏み出してはいたが、一般の中国人にとって外国はまだまだ遠かった。山田洋次作品の数々から知り得たものは日本の現代的な生活スタイルではなく、郷土色豊かな日本の風景と人情味あふれる人々、そして社会の片隅にいる無名の主人公だった。何かを成し遂げたわけでもなく世の中のどこにでもいるちょっとダメな人物――映画館を後にしつつ自らの人生を振り返る時、自分自身もまた無名であり、全体では目覚ましい成長を遂げつつある経済社会の後半部分にしがみついている一人であることに気づくのだった。実際我々のほとんどが、社会の中のちっぽけな存在に過ぎないのだ。
「男はつらいよ」の主人公寅次郎もまた、日本社会で順風満帆な人生を送ったとは決して言えない人物だ。
「美人を見るとすぐに恋してしまうのになかなか成就できない、結婚もできない、そんなちょっとダメな男性を描きたかったのです」
山田監督は言った。
しかしそんな寅次郎にも帰る家があり、さすらいの果てにはいつでも家族や周りの人たちに温かく迎えられている、幸せな人物であると言えるだろう。
「遥かなる山の呼び声」ではロマンあふれ、純粋で素朴な日本人が北海道の大自然を舞台に描かれている。1980年代、映画はあくまで映画であり現実とは違うという意識があった。映画を見たからと言ってすぐに北海道に行き、その季節の移り変わりを自ら感じたい、感じられると思うことはなかったろう。その点では馮小剛監督の「非誠勿擾」(日本名:誠実なおつき合いができる方のみ)は北海道の美しさを完全に描いているわけではないものの、映画をきっかけに中国人観光客が多く訪れ観光業に大きく貢献している。しかし本当の意味で、北海道の四季を余すところなく描いているのは「遥かなる山の呼び声」である。北海道の美しい風景に溶け込んだ田島(高倉健)や民子(倍賞千恵子)の純粋さ、情感は山田監督だからこそ表現できたものと言えるだろう。