技術面では、非常用電源の配置が冠水・浸水・水没というような事態を想定していなかった。原子炉自体は電源が確保されたならば、「止める・冷やす・閉じ込める」ことが可能であったと思われる。
とすれば、原発の仕様(全体の基本的設計)決定に対応能力を欠いていた。また、それを許可した原子力安全委員会、保安院のチェック機能も働かなかったわけだ。原子力事故の重大性に鑑みて安全操業のためのシステムが作られているのだから、東電一社に責任を被せてすむ問題ではない。
アクシデントマネジメント機器についても、電源喪失によって大方すべての機能を喪失した。技術面における問題点は少なくない。
事故直後に、いわゆるエリートパニックが発生したことは事実である。当時の官邸(首相)と東電の間の齟齬、関係機関が円滑なチーム力を発揮できなかったことは大きな問題であった。
朝日は「批判に細かく反論する一方、都合の悪いことは避けているとしか思えない」と批判する。全面撤退問題について、官邸側の勘違いとしていることも気にいらないらしい。
その間の推移を振り返れば、東電が「直接事故対策要員以外の退避」を申し入れているのは間違いない。官邸側の疑心暗鬼が拍車をかけたのであろう。いずれにせよ、批判に対する釈明の権利を認めなければならない。
事故対応のために現場責任者を中心に活動展開するのは当然である。官邸にその見識が確立していたかどうか疑問だ。官邸と保安院の連携プレーも取れていなかったではないか。