文=奥井禮喜
安倍氏が公言する積極的平和主義とは何か。単純に考えれば――積極的に平和主義を推進する――と理解できるが、その前に平和主義なる言葉をいかに規定しているのかが、語られていない。
たとえば日本人は決して好戦的ではない。平和主義である。身近なところでは、概して集団・社会において、諍いを好まず、角を立てることを嫌う。「知に逆らえば角が立つ、情に掉させば流される」から。
よろしくない面では、問題があっても、まあまあ、なあなあ主義であって、目立たない・匂わないことを以て、横並び画一主義だという批判が以前からある。ここでは平和主義は現状維持主義に通ずる。
明治以来の政治・経済の先頭に立ったのが、多くは旧武家階級であり、武断政治が展開された。文より武の気質だというが、それはもともと人口の5%程度の武家階級(支配階層)の思想であり、掟である。
わが国の歴史を概観すると、半奴隷社会から封建社会末まで1800年ほど。しかし、封建社会に対して庶民による革命は発生せず、人間性無視の理不尽な歴史が長く継続した。平和主義ではあるが進歩がなかった。
これを回顧すれば、まさに庶民は平和主義であり、大概のことには耐え忍ぶ気質である。だから鎖国は、いわば外国との紛擾を避ける意味において、支配者から被支配者に到るまで好都合だった。
いまも、一部を除いて日本人は、よくもわるくも平和主義であると言っても外れてはいない。たとえば敗戦後、戦勝国によって軍隊を壊滅させられたが、その指示に唯々諾々従った歴史的事実も、それを証明する。