忽然登場した民主主義の日本国憲法に対して、議会において、戦争放棄は大きな論争にならず、天皇主権が基本的人権・主権在民に変わったほうが、大きな衝撃であったこともまた、その証明である。
しかし、さして時を経ずして、米国流ご都合主義で再軍備の道へ入る。もちろん厭戦・非戦気分が強かった時期でもあったから、再軍備反対の声は決して小さくはなかった。さまざまの意思表示がなされた。
1960年の安保改定反対運動は、結果的には実らず、1960年代後半のベトナム反戦運動以降は「護憲・平和」の声が巷に溢れることがなくなったが、その後保守政権に慎重な舵取りをさせた効果があった。
過去は忘れられ、風化する。すでに1970年代半ばで「広島・長崎を風化させるな」という声が登場した。1980年代になると経済的繁栄下で、護憲・平和など語られることもなくなった。
経済大国という言葉は、当初「日本は経済以外に見るべきものがない国である」という含意であった。誇り高き! 保守政治家において、政治大国たらんとする欲望が復活したのは必然であったろう。
しかし、沖縄が復帰したというものの、我が国には膨大な米軍が駐屯する。守っていただくと考えたとしても、現実は屈辱的占領下とさして変わらない。そこで対等の同盟だと納得するための手立てを講じたくなる。