2年余りの修復を経て、瀋陽市の「日本戦犯特別軍事裁判所」跡地がほぼ復元された。今年5月には、36人のB級戦犯の審判を下した歴史的な光景が再現される。
日本の戦犯を裁判にかけた特別軍事裁判所跡地は、瀋陽市皇姑区黒竜江街77号に位置する。映像の資料によると、数十年前にこの建物には、「中華人民共和国最高人民法院特別軍事法廷」という看板が掛けられていた。
1956年4月、全国人民代表大会常務委員会の決定に基づき、中国政府は特別軍事裁判所を設立した。同年の6−7月にかけて、遼寧省瀋陽市と山西省太原市で裁判を開き、45人の日本の戦犯を裁判にかけた。
瀋陽市が日本の戦犯を裁判にかけたことには、特殊かつ重要な歴史的意義がある。瀋陽市政府は軍事裁判所跡地の門前に、「中国人民は1840年のアヘン戦争以来、初めて中国の土地で、いかなる外からの干渉も受けずに外国の侵略者を裁いた」と書かれた看板を掛けたことがある。
鈴木啓久中将、偽満州国国務院総務長官の武部六藏ら36人の戦犯が、瀋陽市で裁きを受けた。瀋陽市はこの裁判の中心地で、36人全員が罪を認めた。
瀋陽市の九・一八歴史博物館陳列部主任の沈宗艶氏は、「裁判所跡地のメインホールは、当時の日本の戦犯が瀋陽市で裁判を受けた光景を、蝋人形で再現した。展示の中で、さらに30分間に渡る瀋陽裁判の歴史的かつ貴重な映像記録を放映する。これには戦犯が裁判の現場で跪き謝罪する場面が含まれる」と説明した。
専門家は、「瀋陽市での日本の戦犯に対する裁判は、国際社会の日本の戦犯に対する裁判の延長線上にあり、中国の日本の戦犯に対する裁判の重要な構成部分、中国人民の抗日戦争勝利の重要な総括だ」と指摘した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年1月23日