倫理的に生きることこそが品位の表現であるとすれば、戦前権力の立場にあった人々が戦後に復活し、国の政治を担い、大衆に君臨するという事情は間違いなく品位なき態度であった。つまり反省がない。
なにしろ「七・七事変(日本名・満州事変)」(1931)から、宣戦布告なき戦争である日中戦争、太平洋戦争へ突っ込み、1945年8月15日までの15年戦争において、ついには「一億殲滅」も射程に入っていたことを思えば、国民によって裁かれずとも、権力者自身が黙って去るべきである。潔いのは品位であるが、まったく潔くなかった。
大義なき戦争を遂行し、敗戦したのである。もともと大義がなかったのだから敗戦後も大義は不要とまでは考えなかっただろうと思いたいが、出直しの戦後が、画竜点睛を欠く事情にあつたことは間違いない。
それは戦後僅かの期間に現実のものとなって現れた。東西冷戦下、米国による極東の前哨地として、後に中曽根大勲位によれば「不沈空母」としての道をひたひたと歩み始める。
国連憲章にも負けない輝かしい理想を掲げた日本国憲法(1946.11.3布告)に対して解釈改憲路線が始まる。1960年を頂点とする日米安保条約に対する国民闘争は、まさしく戦後民主主義の頂点でもあった。
しかし高度経済成長の甘い誘惑—あえて言うが—のもとで、ただただ「経済」を取り、いったいわが国のテーゼは何なのか、さっぱりわからない国に育ってしまった。昨今「政治の方向性が見えない」「どんな国にするのかわからない」という新聞論調が出る。それは少なくとも1960年を境として続いてきた「この国の(形なき)形」に他ならない。
わが経済大国とは「経済以外になんら見るべきものがない」国に過ぎない。テーゼがなければアンチ・テーゼもまたない。
学者でもない名古屋市長が南京大虐殺事件の学術的研究に身を入れたいわけではあるまい。そんな暇があるのであれば、かつてのわが国の来し方を熟慮学習して、日本国憲法を体現した大名古屋市を構想すればよろしい。戦後育ちが多数派になっても、戦前の残滓が色濃く残っている。剣呑だ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年2月29日
奥井禮喜氏のプロフィール
有限会社ライフビジョン代表取締役
経営労働評論家
日本労働ペンクラブ会員
OnLineJournalライフビジョン発行人
週刊RO通信発行人
ライフビジョン学会顧問 ユニオンアカデミー事務局
1976年 三菱電機労組中執時代に日本初の人生設計セミナー開催。
1982年 独立し、人と組織の元気を開発するライフビジョン理論で、個人の老後問題から余暇、自由時間、政治、社会を論ずる。
1985年 月刊ライフビジョン(現在のOnLineJournalライフビジョン)創刊。
1993年 『連帯する自我』をキーワードにライフビジョン学会を組織。
2002年 大衆運動の理論的拠点としてのユニオンアカデミー旗上げ。
講演、執筆、コンサルテーション、インターネットを使った「メール通信教育」などでオピニオンを展開し、現在に至る。
高齢・障害者雇用支援機構の「エルダー」にコラム連載中。