安倍晋三首相は「内閣総理大臣」の名義で、靖国神社に供物を奉納した。安倍首相が婉曲的に「悪霊」を拝むのは、これが今年で三回目だ。人民日報が伝えた。
安倍氏は「国家のために戦い犠牲になった英霊に敬意を表する」のは至極当然のことであると述べ、まことしやかに「靖国神社の参拝はすでに外交問題化しているため、自ら参拝するかについては発言できない」と語った。
このうしろめたい言い訳にはどのような意義があるのだろうか。いかなる形にせよ、かつての戦犯に頭を下げることは、軍国主義の復活を促し、アジア各国の人々の感情を著しく損ねるものであり、現在の国際秩序に対する公然たる挑戦である。供物を奉納することと自ら参拝することは、本質的にはまったく同じことで、いかなる区別もない。
安倍首相が重視する「バランス」とは安っぽい芝居であり、実に見苦しい。根本的原則に関わる是非の問題について、バランスをとる余地などそもそも存在しないからだ。
日本において、軍国主義的思想はしぶとい生存力を持ち、この思想を育む社会の土壌が徹底的に除染されていない。これは日本メディアの報道によっても示されている。共同通信社は、中国の一部メディアの安倍首相の婉曲的な「悪霊参拝」に対する報道に注目し、奇妙なことに「中国は冷静な反応」という結論を導き出した。
冷静な反応のはずがありえるだろうか。日本からの侵略を受けた歴史を忘れることは裏切りであり、歴史の正義に挑戦する日本の政治家を放任することも同じく裏切りだ。