2012年1月5日、日本の東京でおよそ3000人が参加して第48回全日本書初め大展覧会が開催された。
愛知県立大学の與那覇潤准教授が2011年11月出版した「中国化する日本―日中「文明の衝突」一千年史」 (出版:文藝春秋)という本が、日本で関心を集めている。中日の千年の交流史を通じて、歴史学者である與那覇氏は「日本は最終的に『中国化』という道を選択するだろう」という結論を導き出している。
社会構造形式の類似現象
與那覇氏の視点に対して、共感しない日本人もいる。それは近年、日本が外交・軍事で全面的に米国と一貫して整合し続けてきた時、世論に「嫌中」感情がはびこり続けてきたからだ。
歴史学者として與那覇氏は、「中国化」は別に現実生活において日本と中国の力関係を示すものではなく、「日本社会の構造形式が中国社会と似通ってきた」という現象を指しているのだと考えている。
彼によれば、中国社会の最大の特徴は「特権貴族が存在していない」ことで、日本は近代になって始めて原則上貴族は消滅し、社会形式はこの頃から徐々に中国に接近してきたのだという。
近代の欧米や日本では、貴族は巨大で揺らぐことのない既得権益集団だった。これに比べ、中国社会は宋代以降、特権を持った貴族は存在していない。組織構造上、皇帝と利益分配について意見を交換できる既得権益集団は存在せず、国家を左右する重要任務は選び抜かれた優秀な官僚が行った。貴族であるかどうか、資産の有無については、中国ではさほど重要ではなかった。
明治維新により、日本各地の封建時代の武士の領地は消え去り、武士は国家公務員になり、城は国の公共施設に形を変え、中国の社会構造に近づき始めた。日本が欧米から議会制度を導入したといっても、西欧の貴族がするように議会での闘争を通じて、国王(天皇)と戦いを繰り広げるという現象はとうとう現れないままだ。議会を通した方法ではなく、行政機関の官僚が効果的に国家を統治するのが、宋代以降の中国社会の特徴である。
與那覇氏にとって、日本の「中国化」とはこのような社会構造上の同調と接近を示している。
「スター政治家」の台頭も「中国化」現象の一つ