東日本大震災を忘れない―1年後の震災被災地を訪れる(陸前高田・気仙沼)

東日本大震災を忘れない―1年後の震災被災地を訪れる(陸前高田・気仙沼)。 日本で繰り広げられる支援の様子、不況の日本を襲った経済的打撃、福島原発にまつわる政府と東電の信じられない事実の数々を訳し続けてきたが、1年経って、やっと現地を訪れることができた。そしてほんの一部かもしれないが、現地のにおい、風に触れ、声を聞くことができた…

タグ: 東日本大震災 陸前高田 気仙沼

発信時間: 2012-04-15 09:50:49 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

斉藤さん

気仙沼観光コンベンション協会に勤める斉藤千津さん。4歳と2歳の男の子のヤングママさんだ。彼女は7人家族、夫、2人の子ども、義理の両親と弟と暮らしている。気仙沼の大火災が発生したところに家があった。震災が発生したとき、彼女は集金の途中だった。大きな揺れで車のハンドルがきかなくなった。その直後、ものすごい勢いで下水の水が海へ引いていき、「これは(津波が)来る!」と思った。そばにいた小学生4人を連れ、近くの高台にある小学校へ送り届けた後、港に近い会社に戻った。津波が来たときの土ぼこり、クラクション、家が引き倒されていくバリバリという音、すれちがった人たちの顔が今も脳裏から離れないという。震災直後、家族はばらばらになったが、不思議と行く先々で再会したという。夜になると雪が降ってきた。震えが止まらなかったが怖いのか、寒いのかわからなかった。数日して、家のあった海辺に行って見ると、すべてが焼けてなにもなくなっていた。聞こえるのはガスボンベの爆発する音だけだったという。

大勢の親しい人を見送った。家族が全員無事だった自分にはなすべきことがあると、人生観が変わり、以前と比べて「おせっかい」になったと力強い笑顔を見せてくれた。

 

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