しかしながら東アジア諸国の平和を守る取り組みは、安倍政権の積極的な反応を得ていない。安倍首相から見て、歴史には正義がなく、是非を混同することができ、「侵略」にも定義と基準がないからだ。これは安倍版の歴史虚偽主義ではなく、安倍首相とその追随者が歴史の是非を混淆する根本的な原因はこうだ。つまり歴史の是非の混淆から歴史の書き換えに移り、日本が近代史において仕掛けた「大東亜戦争」、太平洋戦争の「正義」を美化する。そこから日本の社会と政治の環境を毒化し、憲法の平和条項を取り消すことで何はばかることなく軍拡・強国政策を推進する。安倍首相の推進する強国戦略の危害は東南アジアの隣国ばかりか、最終的には国際社会全体にも及ぶことは、見識のある人ならば見て取れるはずだ。
歴史認識という原則的な問題を振り返るのは、誠意を持って歴史と向き合わなければ、未来を手にできないからだ。人類の歴史に是非はあるだろうか。文明社会において、「侵略・被侵略」の統一的な基準はあるだろうか。安倍首相とその追随者を除けば、世界のいかなる国・民族・個人はおそらく、「イエス」と答えるだろう。さもなければ、正義・公正・人権・自由・民主などの価値は、その基盤を失うからだ。安倍政権が方針転換しなければ、東アジアに平和が訪れないばかりか、世界も平和を失うだろう。しかし長期的に見ると、安倍首相の歴史逆行は中国の平和的な発展の歩みを阻止できず、世界が最終的に文明・繁栄に向かうことをも変えられない。歴史の悲劇の再演を試みる逆行者が、最終的に歴史の中で淪落することは、歴史によって何度も証明されている。(筆者:高洪 中国社会科学院日本研究所研究員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年2月10日