60数年後の現在も、順子達(92)氏は撫順戦犯管理所で過ごした日々を思い出すと涙が止まらず、「日本は絶対に中国と戦争をしてはいけない。隣国として、助け合うべきだ」と述べた。
1956年の裁判前、中国政府は日本の戦犯に、全国各地を見学させた。彼らは新中国に生じた大きな変化を目の当たりにし、日本軍が中国の一般人を虐殺し、惨事を起こした記念の地を訪れ、生存者の罪の訴えに耳を傾けた。これは戦犯の魂を揺さぶった。彼らは侵略者が惨事を起こした場所で跪き、罪を懺悔した。
1956年6−7月、瀋陽特別軍事法廷は鈴木啓久ら日本人戦犯36名に対し公開裁判を行った。審判を受けた戦犯の誰一人として罪を否定し、減刑を求めなかった。多くの戦犯が、厳罰を求めた。
偽満州国総務庁次長だった古海忠之は法廷で、「私は中国で、人として許されることのない大きな罪を犯した。日本の次の世代を教育するため、中国人民に極刑を求める」と述べた。戦犯の島村三郎は法廷で跪き、極刑を求めた。
審判を経て、起訴された戦犯は最長20年、最短8年の刑罰を受けた。その他の審判を受けなかった中級・下級戦犯は、その主な罪に関する調査の終了後、釈放され帰国した。
これらの帰国した日本人戦犯は、「中国帰還者連絡会」を設立し、日本各地に支部を設置した。彼らは「平和と日中友好に貢献」を趣旨とし、侵略戦争に反対し、中日友好を促進している。そのうち『三光』、『私たちは中国でなにをしたか―元日本人戦犯の記録』などの出版された書籍は中国侵略の罪を暴き出し、日本人の間でセンセーションを巻き起こした。
この改造の奇跡を自ら経験し、目の当たりにした多くの人がこの世を離れているが、新中国が戦犯の魂を改造するため行った努力と成果は歴史に刻まれ、人類の歴史における荘厳かつ温かな記憶になるだろう。
日本人戦犯の稲葉績が言った通り、戦犯を改造し罪を認めさせ、よりよく人類に貢献させることには、深い意義がある。撫順での戦犯改造は、偉大な取り組みだった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年9月1日