5月9日付産経新聞は、自衛隊は釣魚島(日本名・尖閣諸島)及び付属島の奪回作戦案を制定し、それを受けて中国メディアが大幅に紙面を割きトップで関連報道を掲載したことを明らかにした。そのうえで、中国軍が釣魚島を「不法に占拠」し、陸海空自衛隊の合同上陸戦によって奪回されるとの想定は、世論の関心を呼んだが、人びとは日本がなぜこの問題を突然取り上げ、大げさに表現したのか理解していない、と指摘した。米国の中国語紙「国際日報」が12日伝えた。
こうした疑問は歴史に対する無知に由来する。実際、戦争はこれまで日本人が最も好んできたとの想定については、昔のことに言及しなくとも、冷戦期間の関連する状況だけでもすべてを説明にするに足る。1970年代、世界は新たな世界大戦というパニックに陥り、人びとは次々に第三次世界大戦が勃発し、押し進む過程における様々な状況を予測した。そのなかに、欧州人が記したものとして、例えば、1979年に商務印書館から出版された「欧州に防衛はあるか―世界の姿を変えられた48時間」や、「第三次世界大戦―一部未来史」がある。日本人が記したものでは、「第三次世界大戦は起きる」や「ソ連軍日本上陸!―第三次世界大戦・日本編」「ミンスク出撃す!―第三次世界大戦・続本編」など。両者を比較すると、日本人の著作は中国の読者を引きつけ、それに反応する熱烈さは恐らく日本国内を超えている。まさにこうした著作を通じて、中国の人びとはようやく第三次世界大戦に対する外の世界の様々な予想を理解し、自らの境遇を繰り返し分析しようとする日本人の執着の精神を体験したのである。
さらに米国の状況と比べると、日本の執着の精神はより希となる。太平洋と大西洋という二つの大きな天然の屏風に保護されているため、米国が自ら大挙して侵入されると想定することはほとんどなく、仮に想定するにしても、エイリアンはどのように地球に侵入するか、米国はどのように救出するか、といった類のことだ。日本はそれとはまったく異なり、常に自身がこの、あるいはあの敵の侵略に遭遇すると想定しており、良く言えば、憂国の情が強い、悪く言えば、マゾ的傾向が際立っているのだ。