奥井禮喜氏:憲法記念日に考えたこと

奥井禮喜氏:憲法記念日に考えたこと。 5月3日憲法記念日、大新聞(朝日・読売・日経)の社説はいずれ劣らずつまらなかった。政治家の頂点に立つ人が自分の考えを次々にわが国の公式見解にしてしまう。さほど熟慮しなくても、憲法の精神に違反しているのは間違いないが、経済好調当時、本気で怒りの声が上がらない…

タグ: 憲法 記念日 日米同盟 政治家 社会 安定

発信時間: 2012-05-07 11:26:56 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

また全体主義者の呼びかけに対して、理想主義者が呼応しやすいという指摘も見捨てがたい。ヒトラーの演説などは無茶苦茶だが、第一次大戦後に疲弊して、傷ついた誇りを回復せんとする人々には鋭く響いたのであるから。

apathyといえば、わが日本人も人後に落ちない。封建社会が長く続いたのはそれが原因である。しかし、かの15年戦争前には一転して全体主義の流れに組み込まれてしまい、表面的には熱狂的日本精神教信者になった。

煽動者は危機・不満意識に便乗する。人々を煽る。加えて被害者になるぞという心理状態は無関心・無頓着な人の気持ちを不安定にさせる。個人としては非力だから、全体として景気づけされると、自分も一体化して高揚する。

1990年代からのわが国の事情は、まあ、ちょっと考えればいかにもやりきれない気持ちになるだろう。いわば客観的条件は十分に整っているわけだ。そもそもapathy型は、熟慮してapathyを気取っているのではないから、なにかのきっかけで付和雷同し始めると始末が悪い。

権力を掌握する前の全体主義的扇動者は、うまくいけば彼らが批判する政治家たちを覚醒させて、政治の改善につながる可能性がないではないが、それが捗々しくないとすれば、全体主義的傾向をもった連中が国内政治においてドタバタを開始する。ますます政治状況を混乱させる。

人気によって動く政治というものは、常に警戒せねばならない。声高く《改革》を唱える政治家にはとりわけ要注意だ。邪教邪淫を流し続けるようなテレビを通して人気を獲得した政治家の言葉はくれぐれも吟味せねばならない。

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