ミャンマーは第二次世界大戦中、日本が中国を迂回・包囲し、国際救援物資の供給ルートを断ち切る戦場の一つだった。この国際ルートを守るため、中国は10万人規模の遠征軍を派遣し、日本と激しい交戦に陥った。あれから70年後、歴史が異なる形により再現されようとは、誰が予想しただろうか。
ミャンマーは太平洋・インド洋、東アジア・南アジア、米国の中国に対するC型包囲網の海上包囲網・陸上包囲網が交わる地点に位置する。米国は中国包囲を核心とする戦略をアジア太平洋に移すことを決定すると、日本、フィリピン、ベトナムを軸とする東アジア大連合の構築を急ぎ、東中国海から南中国海に至る広大な地域に激しい変動をもたらした。貿易とエネルギーのルートを海洋に過度に依存している中国にとって、これは致命的な脅威である。まさにこの時、ミャンマーの重要な戦略的地位が表面化した。日米は海上の手配を完了すると、直ちにミャンマーに押しかけた。オバマ大統領は再任後初の外遊先として、ミャンマー、タイ、カンボジア等の中国周辺国を選択した。オバマ大統領に続き、日本も驚異的なスピードでミャンマーに進出している。
東中国海・南中国海では、日米同盟が高い総合的実力を持ち、短期間内に飛躍的な進展を実現することは難しい。そのため中国は西に進むべきだ。しかし西に進むルートには、ミャンマーが含まれる。日米はすでに先手を打っており、特に日本は国家的な対決の姿勢により中国に対して戦略的攻勢に出ている。(筆者 海洋安全・協力研究院の戴旭院長)
日本の戦略的攻勢 釣魚島からミャンマーへ②ミャンマーが中日米戦略駆け引きの舞台に
「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年1月16日