文=コラムニスト・陳言
日本国際交流基金の理事長である安藤裕康さんは、2011年10月まで駐イタリア大使を務めていた。場所や肩書きは大きく違っても、仕事内容はほとんど変わりないようだ。
「外国人に日本の外交政策を説明する、日本文化をより多くの人に理解してもらう、これが私の仕事です」
安藤さんは国際交流基金の応接室で言った。
今回私は就任後2ヶ月の安藤さんと東京で再会した。初めてお会いしたのは震災被災地の仙台で、挨拶を交わす程度だったため、後日改めて東京でお会いする約束をしたのだった。
応接室で握手を交わした時、私は安藤さんの手が少し冷たいように感じた。
震災後の日本各地での節電励行を知っていた私は、安藤さんのオフィスでも暖房を入れていないのかもしれない、と思った。12月の東京とはいえ、少し道に迷ってしまった私は小走りで移動し汗ばむ程だった。だから安藤さんの手の冷たさと節電を心がけていらっしゃることが一層感じ取れたのだろう。
「3月11日の震災後、多くのイタリア人や外国の友人からお見舞いをいただきました。日本に対する友情を深く感じました」
話が海外での仕事に対する感想に及んだ時、大震災があったことで安藤さんにより強い印象を残したことを知った。
まさにそうした経験があったことで、大使の任期を終えた安藤さんがまず考えたことは、国際交流基金の理事長という公募ポストに応募することだった。1970年から2011年までの41年間の外交官経験は、他の応募者の誰よりも国際交流を心得ていることを示していた。