奥井禮喜氏:日本人の自我とエートス

奥井禮喜氏:日本人の自我とエートス。 かつて「日本人は集団主義である」という論が盛んであった。なるほど昭和の敗戦に至る過程をみれば間違いなく国家主義であり、大日本帝国憲法においても自由な個人が存在していない。ただし、これはおおよそ1920年代後半から意図的に国家権力が総動員して形成した《主義》である…

タグ: 今西錦司 サル 自我 エートス 個性 集団

発信時間: 2012-08-09 13:20:11 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

文=奥井禮喜

「日本人の自我はサルより弱い」。これ、今西錦司先生(1902~1882)の名言だと記憶する。

今西先生の京大霊長類研究グループは、宮崎県青島のサル、野生馬、大分県高崎山のサルの研究などなど、たくさんの成果を挙げられた。「サルの研究をするのであれば日本語を勉強すべし」と外国の同業研究者大先生が真面目にいわれたほどであったらしい。

今西グループの最大特徴は、サルの群れとしての行動の観察と共に、サルに名前をつけて一匹ずつの個体識別をやった。これが半端ではない。お弟子さんたちは戦後の食うや食わずやの時代、腰におにぎり結び付けて、鉛筆とノート、望遠鏡を持って山中を駆け巡られた。その猛烈さは地元の方々をして唖然とさせたのである。

今西先生によれば、群れで生活する動物は文化を持っている。群れが解体せず持続するのは文化があるからだ。文化とは群れの集団的個性である。これをCultural personalityとする。

個体にも個性がある。こちらはIndividual personalityであって個体同士の違いである。群れで生活するにはCultural personalityを持たねばならない。そこから、集団の限界はカルチャーの限界であり、カルチャーの限界は集団の限界であるとする。

集団にせよ、個体にせよ、その性質を知るためには行動を通して知るしかないので、彼らのライフヒストリーを徹底観察する。人間がサルの心を読み取ろうというのだから半端ではない。

グループの「日本動物記」(目下は古書でしか入手できない)を読むと、その観察、想像、分析、展開からして、膨大な精神力と体力が駆使されたであろうことがわかるし、とにかく面白い。元気が出る。

世間では相変わらず私生活暴露が賑やかだが、こちらは(人間が書いた)サルの私小説である。あらゆる集団・組織のリーダーには、カウンセリングだの、コーチングだのという前に、今西チームの個体識別について学ばれることをお勧めする。さて。

冒頭に戻ろう。自我が弱ければどうなるか。個人の力も、集団・組織の力も大して期待できないのである。

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