奥井禮喜氏:日本人の自我とエートス

奥井禮喜氏:日本人の自我とエートス。 かつて「日本人は集団主義である」という論が盛んであった。なるほど昭和の敗戦に至る過程をみれば間違いなく国家主義であり、大日本帝国憲法においても自由な個人が存在していない。ただし、これはおおよそ1920年代後半から意図的に国家権力が総動員して形成した《主義》である…

タグ: 今西錦司 サル 自我 エートス 個性 集団

発信時間: 2012-08-09 13:20:11 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

ところで自我とは、ジコチューの意味ではない。要約すると、自分の生き方において、個性(genius)を自由に発揮して他の個性と連帯する。私はこれを社会的自我と呼んでいる。

理性的生き方をするのが人間らしさだとすれば、自分が最大限理性的生き方を追求することによって、他者の共感を獲得する。そのような人々が多い集団・組織は間違いなく活気に溢れているはずだ。

集団・組織・民族・国家などにおいて、客観的に、持続的な、道徳的な慣習・行動の規範のことをエートス(ethos)という。試みにわが日本人的エートスなるものを考えるけれど、これだというものが容易に思いつかない。

かつて「日本人は集団主義である」という論が盛んであった。なるほど昭和の敗戦に至る過程をみれば間違いなく国家主義であり、大日本帝国憲法においても自由な個人が存在していない。ただし、これはおおよそ1920年代後半から意図的に国家権力が総動員して形成した《主義》である。

そもそも集団主義といっても、それが本当の力を発揮するためには、個人がそれを自分の本懐として真剣真摯に追求していなければならない。戦時体制になって尻に火がついてからは《滅私》であったとしても、もし国家権力総動員で網をかけなかったら、誰もそんな状態を望みはしなかったはずだ。

西欧15~16世紀はルネサンス・宗教改革の一大高揚期であった。コロンブスなどの地理上の発見、コペルニクス以後の宇宙の発見と並んで、宗教権力と国家権力に抑圧されていた人々が「自我」を発見した。

それは、いわば外発的に状況に対して「なるようにしかならない」と諦念が支配していた精神世界から「自分がしたいようにする」という内発的な生き方に到達した一大発見であった。そこから民主主義が拓かれた。

わが国には封建社会を自身の手で打倒した歴史が存在しないのである。

 

奥井禮喜氏のプロフィール

 

有限会社ライフビジョン代表取締役

経営労働評論家

日本労働ペンクラブ会員

OnLineJournalライフビジョン発行人

週刊RO通信発行人

ライフビジョン学会顧問  ユニオンアカデミー事務局

1976年 三菱電機労組中執時代に日本初の人生設計セミナー開催。

1982年 独立し、人と組織の元気を開発するライフビジョン理論で、個人の老後問題から余暇、自由時間、政治、社会を論ずる。

1985年 月刊ライフビジョン(現在のOnLineJournalライフビジョン)創刊。

1993年 『連帯する自我』をキーワードにライフビジョン学会を組織。

2002年 大衆運動の理論的拠点としてのユニオンアカデミー旗上げ。

講演、執筆、コンサルテーション、インターネットを使った「メール通信教育」などでオピニオンを展開し、現在に至る。

高齢・障害者雇用支援機構の「エルダー」にコラム連載中。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年8月9日

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